Geeklog Site http://ssn.ho-gas.com Another Nifty Geeklog Site sn3@ho-gas.com sn3@ho-gas.com Copyright 2009 SSN for Atypical Families エーティピカルファミリーズ Geeklog Thu, 31 Dec 2009 00:02:29 +0900 ja 緘黙の少女―親権代行者の記録 http://ssn.ho-gas.com/article.php/2009123011595865 http://ssn.ho-gas.com/article.php/2009123011595865 Wed, 30 Dec 2009 11:59:58 +0900 http://ssn.ho-gas.com/article.php/2009123011595865#comments ブックレビュー <p><iframe frameborder="0" scrolling="no" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;IS2=1&amp;bg1=FFFFFF&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;t=hogas-22&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;m=amazon&amp;f=ifr&amp;asins=4990138805" style="width: 120px; height: 240px;" marginwidth="0" marginheight="0"></iframe></p> <p>&nbsp;</p><h3 class="productDescriptionSource">内容(「MARC」データベースより)</h3><p>14歳の少女は幼児期から児童虐待の犠牲となって、抜き差しならぬ精神的・身体的状況にあった。虐待されている子どもに出会って6年余、親代わりとなった弁護士の物語性を持った記録。</p><p>&nbsp;</p><p>先ず、私がこの本について書くべきかどうかってことを悩みました。</p><p>ストレートな感想はかなり批判的な内容になってしまうような気がしたからです。</p><p>この本は親権代行者、弁護士さんの善意ある行動をベースにして、視点は勿論弁護士さんの社会的立場からのものになりますが、時にそれを超えて、人間的な情の部分が役割的責任を上回って、少女を更生させるために尽力したことについて書かれています。<br /><br />著者をはじめ、関係の方々の働きは職務を越えて、一人の少女を救いたいという善意で溢れているといってもいいでしょう。<br /><br />それについては、本当に素晴らしいと思います。<br /><br />しかし、この本の主題たるテーマは、それで完結しているのか。<br /><br />それがよくわからないのです。<br /><br />私自身、「緘黙、猫背、咀嚼」などのキーワードから手に取った書なので、「虐待」という視点から読んでいれば違ったのかもしれませんが、私にはこの著者が描いている実親の「やっぱりダメだな」という部分がよく理解できなかったし、虐待者(加害者)に対する支援、サポートについての著者なりの見解はどうか、よく判らない。<br /><br />確かに、変わった子に対する驚きは伝わってきますが、この少女に対する適切な支援は何なのか、それは教育者的見解、あるいは障害児教育的見解、あるいは虐待時教育的見解(・・・そのような教育があるのかは知らないが)に基づいて考えられているのかどうか、そのあたりもよく判らない訳で。<br /><br />つまりこの本は行政に対する意見書なのか、風変わりな子に対する指南書なのか、あるいは、いわゆる文芸書なのかという・・・。<br /><br />どう捉えていいのか判らない感に包まれています。<br />少女の特性が風変わりであるが故の読後感なのかもしれないし、私の身近にいる少女と重ね合わせてしまううちに、私自身、虐待している実親の心境により近くなっているのかもしれません。<br /><br />著者が親代わりだとして、父親というものは、何をする責任があるのでしょう。<br /><br />適切な支援の場に子供を預けること。<br />将来的に、子供の負担を軽減する措置をとること。<br />外敵から子供を守ること。<br /><br />こういうことが望まれるのでしょうか。<br />男性は子育てにおける教育は難しいかもしれないし、身の回りの世話も難しいでしょう。</p><p>勿論、この本は父親論ではありません。</p><p>何らかの答えもないし、少女の将来に対する方向性も判りません。</p><p>読む価値があるとすれば、事例研究ということになるのでしょうか。</p><p>しかしこれは法的事例ではなく、精神疾患的事例研究でもありません。</p><p>虐待事例研究なのかというと、たぶんそれも違います。</p><p>著者の人生における心に響いたエッセイのひとコマ。</p><p>そういう見地から、読むといいのかもしれません。</p><p>ただ、これはあくまでも個人的感想であって、他の人がどう捉えるかはよく判りません。</p><p>「虐待」というキーワードから読むべきなのでしょうね。</p><p>「緘黙」について勉強したいというのであれば、少し違うような気がしますので。</p> http://ssn.ho-gas.com/trackback.php/2009123011595865 ネグレクト 育児放棄-真奈ちゃんはなぜ死んだか http://ssn.ho-gas.com/article.php/20091001154645313 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20091001154645313 Thu, 01 Oct 2009 15:46:45 +0900 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20091001154645313#comments ブックレビュー <p><iframe marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=hogas-22&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;asins=4093895848&amp;fc1=000000&amp;IS2=1&amp;lt1=_blank&amp;m=amazon&amp;lc1=0000FF&amp;bc1=000000&amp;bg1=FFFFFF&amp;f=ifr" frameborder="0" marginwidth="0" scrolling="no" style="width: 120px; height: 240px"></iframe></p> <p><strong>出版社 / 著者からの内容紹介<br /></strong>第11回小学館ノンフィクション賞受賞作<br />ネグレクト【neglect】育児放棄。子供に食事を満足に与えなかったり、病気やけがを放置したり、長期間入浴させないなど保護者としての責任を放棄する行為で、児童虐待の中でも近年急増している。2000年12月10日、愛知県名古屋市近郊のベッドタウンで、3歳になったばかりの女の子が20日近くも段ボールの中に入れられたまま、ほとんど食事も与えられずにミイラのような状態で亡くなった。両親はともに21歳、十代で親になった茶髪の夫婦だった。なぜ、両親は女の子を死に至らしめたのか、女の子はなぜ救い出されなかったのか。3年半を超える取材を通じてその深層に迫った衝撃の事件ルポルタージュ。 <br />・・・amazonより・・・・</p><p>最初、図書館でざっと流し読みして、全部は読まなくてもいいかな~と思ったんだけど、結局どうまとめるのかが気になり、借りて読みました。</p><p>まあ、一気に読める本です。<br /><br />読んでいて若干、意が痛くなりましたが・・・著者は変に感情移入せず、淡々とした文体で書き綴っていて、全体的に読みやすい本でしょう。<br />勿論、他のノンフィクションも同様、脚色のない文体など存在しないわけであり、この本においても、あくまでも事実を基にした作品である、ということに変わりはない訳ですが、著者自身、子育ての最中に取材、執筆をしたということもあとがきに書かれていましたが、そのあたりも全体の構成に影響しているのかもしれません。</p><p>そういう意味で、出来の良い本だと思います。</p><p>といっても、事件に対する見解も、やっぱり書いておいたほうがいいですか・・・・</p><p>まあ、茶髪の夫婦なんて現代においてそこいらじゅうにいるし、問題が全くない家庭に育った人間なんて、少なくともこのサイトを見ている人には皆無なんじゃないかと思われます。</p><p>勿論、この本においても、読み手と虐待者である両親とを同一線上において、誰でも虐待のメカニズムを潜在的に持っている、といった視点で描いている訳ではありませんが、実際問題として、この若き両親に対して同情的に見るか、否定的に見るのかはその読み手の育った環境にもよる、といっていいでしょう。</p><p>「環境」「因縁」支持でしょうか。</p><p>しかし、私は遺伝的資質を抜きにこの事件を語るのは、やはり間違いではないかと思っています。</p><p>真奈ちゃんが知的に遅れがあったことは、ほぼ間違いないことであり、その事実を両親は受け入れることが出来ていなかった。</p><p>この事件の議論されない「タブー」はここにあると思います。</p><p>乳児期にあった、おそらくは、頭部の外傷が(故意なのか事故なのかは本文中に書かれていなかったと思いますが)真奈ちゃんの知的遅滞の原因であったのかもしれません。</p><p>いずれにしても、それについては語られなかった、つまり母親も父親も、未だにそのことについての非を認めていない、黙秘し続けている部分になるのでしょう。</p><p>それゆえなのか、それ以前からなのか、今となっては証明することも出来ないだろうし、それにさほどの意味もないのかもしれない。</p><p>勿論、虐待を社会の責任にすることは簡単であると思いますし、ちょっとした係わりで不幸な事件は起こらなかったかもしれません。</p><p>たぶん、この家族と同じ社宅に住んでいた、真奈ちゃんを知っていたお母さんは、この話の登場人物の中で最も自分を責め、苦しんだ一人であったと思います。</p><p>しかし、何故、近所の他人のほうがネグレクトをしていた張本人の両親よりも苦しまなくてはいけないのでしょう。</p><p>それは、自分自身のちょっとした係わりで、人の命を救えたという思いからだと思います。</p><p>では、この両親は何故、近所の他人よりも苦しまないで、施設に引き取られた残された子供に対する罪悪感にも苛まれず、むしろ、前向きに更生しようとしているように見えるのか。</p><p>何故でしょう?</p><p>私には、両親の知的発達に係わる見解をタブー視しているように思えます。</p><p>何故、知的障害をタブー視するのでしょう?</p><p>それでは読み手側の怒りの矛先が無くなってしまうからでしょう。</p><p>怒って終わりにすれば、スッキリするかもしれませんが、それは具体的解決も鈍らなまま、今までと変わらないっていうか。</p><p>&nbsp;ネグレクト=育児放棄であり、ここで根本的な両親の育児に関わる能力の有無を取り上げることが、この本の主題というか、全てを台無しにしかねないので。</p><p>ここで本来の問題点を考えてみるべきなのかもしれません。</p><p>どうしたら、この事件は起こらなかったのか。</p><p>答えは一つではありません、ちょっとしたことで起こらなかったでしょうし、それこそ先に登場した近所のお母さんの声かけ一つで事態は変わっていたかもしれません。</p><p>でも、本来の病理は子育て不能な男女が誰の目にも触れず、密かに生きてくことにこそあると言っていいのではないでしょうか。</p><p>それを止めさせるべきだと言っているのではないです。</p><p>家族ぐるみの社会との断絶、孤独であったことはいうまでもないこと。</p><p>知的に遅れたヤンキー夫婦と、我々はどうやって共存していくのかということ。</p><p>これを抜きに奇麗事を並べても、事態は変わらないということです。</p> http://ssn.ho-gas.com/trackback.php/20091001154645313 児童虐待の構築 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20091001142045880 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20091001142045880 Thu, 01 Oct 2009 14:20:45 +0900 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20091001142045880#comments ブックレビュー <p><iframe marginheight="0" src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&amp;bc1=000000&amp;IS2=1&amp;bg1=FFFFFF&amp;fc1=000000&amp;lc1=0000FF&amp;t=hogas-22&amp;o=9&amp;p=8&amp;l=as1&amp;m=amazon&amp;f=ifr&amp;asins=4790710149" frameborder="0" marginwidth="0" scrolling="no" style="width: 120px; height: 240px"></iframe></p> <p>この本はいわゆる虐待防止を訴える本ではなくて、「児童虐待」がいかに演出され、創られているかを解説する本であるといえるのかもしれない。</p><p>児童虐待が増えているということに対して、疑いを持つ人は少ないと思う。</p><p>しかし、増えているのは実は、相談処理件数であって、虐待の実数は、増えているのか減っているのかさえ判らないということを、殆どの人が知らない。</p><p>勿論、私も知らない。</p><p>この本に書いてあったかもしれないが、その辺りは覚えていないので・・・。</p><p>&nbsp;おおよそ想像はしていたことだが、このように例を出してマスメディアによって虐待が創られていったことを実証してもらえれば、虐待に関する係わりを見直す必要性も多少なりとも感じずにはいられない。</p><p>虐待という概念を自分自身の日常から切り離し、安心してしまうのは間違いである。</p><p>勿論、「典型的な家庭として」の情報の受け手という観念に立てば、「社会に虐待は増えている」、「自分は虐待を通報する義務がある」で関わりは終了ということで済むのかもしれない。</p><p>しかし、私たちのように何らかの負の観念を背負って家庭を築いている者からすれば、いわゆる、「自分たちには全く関係のない世界」だと言い切ってしまう者達のあまりにも乱暴な思想こそが虐待構築の温床であるような気もするのである。</p><p>このサイトを訪れる多くの人は、虐待者側により近い観念を持って、その気持ちに何とか打ち勝って、負のスパイラルから抜け出すべく、日々努力をしているのではないだろうか。</p><p>だからこそ、私たちは児童虐待者の心理をよりよく知っているかもしれないし、全ての人間が虐待者に生り得ることも知っていると思う。</p><p>しかし、マスメディアは言葉巧みに、虐待者は新しい軍団であり、エイリアンのように自分たちの近くに侵入して、勢力を伸ばし始めているかのように報道をする訳である。</p><p>これのメリットとは、いったいなんなのか?</p><p>虐待予備軍と既虐待者は全く違うのであるという認識を植えつけることによって、試聴層の大半を占めると思われる虐待予備軍を、虐待者(犯罪者)とは別の位置に置くことによって、支持を得ようとする試みであろうか。</p><p>まあ、この本はその答えが書かれている訳ではなく、あくまでも学術論文的スタンスから、様々な考察を導き出しているわけで、その大半は、既定の批判的見解に立っている。</p><p>いずれにしても、読みやすい本ではなく、どちらかといえば難しいです。</p> http://ssn.ho-gas.com/trackback.php/20091001142045880 SNSとソーシャルサポート http://ssn.ho-gas.com/article.php/20090728172340408 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20090728172340408 Tue, 28 Jul 2009 17:23:40 +0900 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20090728172340408#comments Geeklog 愛着からソーシャル・ネットワークへ<br /> <a href="http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1047-0.htm">http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku...1047-0.htm</a><br /> <br /> タイトルだけで借りてきました。<br /> 愛着障害のSNSの話ではありませんでした( ̄□ ̄;)!!<br /> <br /> で、何の話なのかっていうと・・・難しいです(;^_^A アセアセ<br /> <br /> 本当はレビューに書くべきかな~と思うんですが、このSNS、結構バグあるし、(ケータイ画像送れない、新着情報反映されてないなど)<br /> 情報蓄積する前に再インストールしたほうがいいのか?なんて思っていたりして。<br /> <br /> で、再三話の腰を折ってますけど(;^_^A アセアセ<br /> 結局この本は何なのかというと、「愛着」という観念を心理学に持ち込んだのはボウルビィという人なんですが、そんなことはどうでもいいのですが(爆)<br /> <br /> 簡単に言うとこの本は先ず、「愛着理論」を疑うわけです。<br /> <br /> 何で人間の発達を、母親という単一のアタッチメントによって成就しなくてはいけないのかっていうことです。<br /> <br /> 父親は何やってんだ~!ジジババは?兄弟は?従兄弟は?近所のおばちゃんたちは?<br /> <br /> 全部読んでないのに簡単に結論づけると、その母親以外にもいろんな人たちが関わっていることをソーシャルネットワークと呼んでいるってことみたいで。<br /> <br /> ま~母親ではない私にとっては都合のいい理論かもしれないって思った訳ですね(;^_^A アセアセ<br /> <br /> <br /> 実は私、いわゆる「愛着障害」について、どうにも納得いっていなくて。<br /> ADHDや広汎性発達障害は現在、こういうことが出来ないとか、苦手であるとか、「現在の状態」から導き出される答えな訳です。<br /> <br /> しかし「愛着障害」っていうのは、乳児期の母親(限定!)から適切?なアタッチメント(愛着)を与えられなかったから、ADHDあるいは自閉症のような症状が出ているんだっていう「過去にさかのぼる検証」による、障害の説明な訳で、これらは同一線上で語られるべきではないんじゃないか?<br /> そもそも、本当に母親「だけ」の責任の「愛着障害」なのか?<br /> <br /> っていうのがあったのです。<br /> <br /> 虐待臨床の世界では、非虐待児童のADHD(様)障害なんて言い回しをしているようで・・・愛着と虐待の位置関係がよく判らず、ややこしいです。<br /> <br /> って結局SNSとソーシャルサポートネットワークって?<br /> <br /> SNS=ソーシャルネットワークサービス、いわゆる、ここみたいなWEBサービス。<br /> <br /> SSN=ソーシャルサポートネットワークっていわゆる、家族や友達以外に様々な人間関係によるサポート体制、福祉や介護の現場で出てくる言葉、子供の通う学校レベルでも出てくるかも。<br /> 地域社会のボランティアとか、開かれた街づくり委員会とか、そういうのだってソーシャルサポートネットワークってことになりますし。<br /> <br /> じゃあ、いったい何が違うのかっていうのが・・・実はよく判ってません( ̄□ ̄;)!!<br /> <br /> ま、私たちがやるべき事ってのは、ソーシャルサポートネットワークなんじゃないのかな?ってことですね・・・(結局、長いけどそれだけか) http://ssn.ho-gas.com/trackback.php/20090728172340408 中途からの育児・子育て http://ssn.ho-gas.com/article.php/20090728171740889 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20090728171740889 Tue, 28 Jul 2009 17:17:40 +0900 http://ssn.ho-gas.com/article.php/20090728171740889#comments Geeklog ということになるんだろうな~とふと思いました。<br /> <br /> ステップファミリーでも継母でもなく、里親認定もされない私が皆さんと同等の繋がりを得るキーワードのことです。<br /> <br /> 「血の繋がらない」っていうのも、確かにそうかもしれませんが、響き的にちょっとひくかな~とか。...... ( ̄□ ̄;)!!<br /> <br /> 「中途」ってのもいい響きとは思いませんが。(-д-;)<br /> <br /> <a href="http://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0&amp;dtype=2&amp;p=%E4%B8%AD%E9%80%94">http://dic.yahoo.co.jp/search?stype=0...D%E9%80%94</a><br /> ヤフー辞書で「中途」を調べる。<br /> <br /> halfway?<br /> 中途育児?<br /> <br /> 中途の類語:<br /> <br /> ⇒ 関連語 とちゅう【途中】<br /> ⇒ 関連語 なかほど【中程】<br /> ⇒ 関連語 はんぱ【半端】<br /> <br /> <br /> 関連語の詳細:<br /> ・とちゅう【途中】 <br /> 途次 中途 半途 途上 過程 〈学校へ行く〉道〈で〉 道々(みちみち) 道筋 道すがら 通り道 <br /> 類語辞書の「とちゅう【途中】」のページを見る<br /> <br /> ・なかほど【中程】 <br /> 中部 中間 中途 半途 中庸 〈山の〉中腹 ▽中心部 都心 湖心 爆心〈地〉 震央 <br /> 類語辞書の「なかほど【中程】」のページを見る<br /> <br /> ・はんぱ【半端】 <br /> 端(はした)〈を切り上げる〉 中途 中途半端 不揃(ふぞろ)い <br /> <br /> <br /> 「過程家庭」ってのはどうだろう?<br /> <br /> プロセスファミリー・・・なんかチーズみたいかf^_^; http://ssn.ho-gas.com/trackback.php/20090728171740889