2010年9月 3日(金) 20:58 JST
14歳の少女は幼児期から児童虐待の犠牲となって、抜き差しならぬ精神的・身体的状況にあった。虐待されている子どもに出会って6年余、親代わりとなった弁護士の物語性を持った記録。
先ず、私がこの本について書くべきかどうかってことを悩みました。
ストレートな感想はかなり批判的な内容になってしまうような気がしたからです。
この本は親権代行者、弁護士さんの善意ある行動をベースにして、視点は勿論弁護士さんの社会的立場からのものになりますが、時にそれを超えて、人間的な情の部分が役割的責任を上回って、少女を更生させるために尽力したことについて書かれています。
著者をはじめ、関係の方々の働きは職務を越えて、一人の少女を救いたいという善意で溢れているといってもいいでしょう。
それについては、本当に素晴らしいと思います。
しかし、この本の主題たるテーマは、それで完結しているのか。
それがよくわからないのです。
私自身、「緘黙、猫背、咀嚼」などのキーワードから手に取った書なので、「虐待」という視点から読んでいれば違ったのかもしれませんが、私にはこの著者が描いている実親の「やっぱりダメだな」という部分がよく理解できなかったし、虐待者(加害者)に対する支援、サポートについての著者なりの見解はどうか、よく判らない。
確かに、変わった子に対する驚きは伝わってきますが、この少女に対する適切な支援は何なのか、それは教育者的見解、あるいは障害児教育的見解、あるいは虐待時教育的見解(・・・そのような教育があるのかは知らないが)に基づいて考えられているのかどうか、そのあたりもよく判らない訳で。
つまりこの本は行政に対する意見書なのか、風変わりな子に対する指南書なのか、あるいは、いわゆる文芸書なのかという・・・。
どう捉えていいのか判らない感に包まれています。
少女の特性が風変わりであるが故の読後感なのかもしれないし、私の身近にいる少女と重ね合わせてしまううちに、私自身、虐待している実親の心境により近くなっているのかもしれません。
著者が親代わりだとして、父親というものは、何をする責任があるのでしょう。
適切な支援の場に子供を預けること。
将来的に、子供の負担を軽減する措置をとること。
外敵から子供を守ること。
こういうことが望まれるのでしょうか。
男性は子育てにおける教育は難しいかもしれないし、身の回りの世話も難しいでしょう。
勿論、この本は父親論ではありません。
何らかの答えもないし、少女の将来に対する方向性も判りません。
読む価値があるとすれば、事例研究ということになるのでしょうか。
しかしこれは法的事例ではなく、精神疾患的事例研究でもありません。
虐待事例研究なのかというと、たぶんそれも違います。
著者の人生における心に響いたエッセイのひとコマ。
そういう見地から、読むといいのかもしれません。
ただ、これはあくまでも個人的感想であって、他の人がどう捉えるかはよく判りません。
「虐待」というキーワードから読むべきなのでしょうね。
「緘黙」について勉強したいというのであれば、少し違うような気がしますので。
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