2010年9月 3日(金) 20:55 JST

ネグレクト 育児放棄-真奈ちゃんはなぜ死んだか

ブックレビュー

出版社 / 著者からの内容紹介
第11回小学館ノンフィクション賞受賞作
ネグレクト【neglect】育児放棄。子供に食事を満足に与えなかったり、病気やけがを放置したり、長期間入浴させないなど保護者としての責任を放棄する行為で、児童虐待の中でも近年急増している。2000年12月10日、愛知県名古屋市近郊のベッドタウンで、3歳になったばかりの女の子が20日近くも段ボールの中に入れられたまま、ほとんど食事も与えられずにミイラのような状態で亡くなった。両親はともに21歳、十代で親になった茶髪の夫婦だった。なぜ、両親は女の子を死に至らしめたのか、女の子はなぜ救い出されなかったのか。3年半を超える取材を通じてその深層に迫った衝撃の事件ルポルタージュ。
・・・amazonより・・・・

最初、図書館でざっと流し読みして、全部は読まなくてもいいかな~と思ったんだけど、結局どうまとめるのかが気になり、借りて読みました。

まあ、一気に読める本です。

読んでいて若干、意が痛くなりましたが・・・著者は変に感情移入せず、淡々とした文体で書き綴っていて、全体的に読みやすい本でしょう。
勿論、他のノンフィクションも同様、脚色のない文体など存在しないわけであり、この本においても、あくまでも事実を基にした作品である、ということに変わりはない訳ですが、著者自身、子育ての最中に取材、執筆をしたということもあとがきに書かれていましたが、そのあたりも全体の構成に影響しているのかもしれません。

そういう意味で、出来の良い本だと思います。

といっても、事件に対する見解も、やっぱり書いておいたほうがいいですか・・・・

まあ、茶髪の夫婦なんて現代においてそこいらじゅうにいるし、問題が全くない家庭に育った人間なんて、少なくともこのサイトを見ている人には皆無なんじゃないかと思われます。

勿論、この本においても、読み手と虐待者である両親とを同一線上において、誰でも虐待のメカニズムを潜在的に持っている、といった視点で描いている訳ではありませんが、実際問題として、この若き両親に対して同情的に見るか、否定的に見るのかはその読み手の育った環境にもよる、といっていいでしょう。

「環境」「因縁」支持でしょうか。

しかし、私は遺伝的資質を抜きにこの事件を語るのは、やはり間違いではないかと思っています。

真奈ちゃんが知的に遅れがあったことは、ほぼ間違いないことであり、その事実を両親は受け入れることが出来ていなかった。

この事件の議論されない「タブー」はここにあると思います。

乳児期にあった、おそらくは、頭部の外傷が(故意なのか事故なのかは本文中に書かれていなかったと思いますが)真奈ちゃんの知的遅滞の原因であったのかもしれません。

いずれにしても、それについては語られなかった、つまり母親も父親も、未だにそのことについての非を認めていない、黙秘し続けている部分になるのでしょう。

それゆえなのか、それ以前からなのか、今となっては証明することも出来ないだろうし、それにさほどの意味もないのかもしれない。

勿論、虐待を社会の責任にすることは簡単であると思いますし、ちょっとした係わりで不幸な事件は起こらなかったかもしれません。

たぶん、この家族と同じ社宅に住んでいた、真奈ちゃんを知っていたお母さんは、この話の登場人物の中で最も自分を責め、苦しんだ一人であったと思います。

しかし、何故、近所の他人のほうがネグレクトをしていた張本人の両親よりも苦しまなくてはいけないのでしょう。

それは、自分自身のちょっとした係わりで、人の命を救えたという思いからだと思います。

では、この両親は何故、近所の他人よりも苦しまないで、施設に引き取られた残された子供に対する罪悪感にも苛まれず、むしろ、前向きに更生しようとしているように見えるのか。

何故でしょう?

私には、両親の知的発達に係わる見解をタブー視しているように思えます。

何故、知的障害をタブー視するのでしょう?

それでは読み手側の怒りの矛先が無くなってしまうからでしょう。

怒って終わりにすれば、スッキリするかもしれませんが、それは具体的解決も鈍らなまま、今までと変わらないっていうか。

 ネグレクト=育児放棄であり、ここで根本的な両親の育児に関わる能力の有無を取り上げることが、この本の主題というか、全てを台無しにしかねないので。

ここで本来の問題点を考えてみるべきなのかもしれません。

どうしたら、この事件は起こらなかったのか。

答えは一つではありません、ちょっとしたことで起こらなかったでしょうし、それこそ先に登場した近所のお母さんの声かけ一つで事態は変わっていたかもしれません。

でも、本来の病理は子育て不能な男女が誰の目にも触れず、密かに生きてくことにこそあると言っていいのではないでしょうか。

それを止めさせるべきだと言っているのではないです。

家族ぐるみの社会との断絶、孤独であったことはいうまでもないこと。

知的に遅れたヤンキー夫婦と、我々はどうやって共存していくのかということ。

これを抜きに奇麗事を並べても、事態は変わらないということです。

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